「来年どうする?」が、うまく答えられない
年末年始が近づくと、どこからともなく聞こえてくる言葉があります。
「来年の目標は?」 「新年の抱負、決めた?」 「来年はどんな年にしたい?」
職場でも、家庭でも、SNSでも。 みんなが当たり前のように、来年の話をしています。
手帳売り場には、新しい年の計画を立てるためのツールが並んでいます。 書店には「目標達成」「夢を叶える」という言葉が踊る本が平積みされています。 YouTubeやTikTokでは、「来年こそ変わる方法」という動画がおすすめに上がってきます。
テレビをつければ、「来年の抱負」を語る有名人のインタビュー。 SNSを開けば、「2025年の目標リスト」を投稿する人たち。 忘年会では、「来年はどうする?」という話題が自然と出てきます。
世の中全体が、「来年に向けて動き出そう」というモードに入っています。
でも、その流れに乗れない自分がいます。
来年の目標? 正直、何も思い浮かばない。
どんな年にしたい? わからない。そもそも、何がしたいのかわからない。
そんな状態で、「目標は?」と聞かれると、困ってしまいます。 適当に何か答えても、どこか嘘をついているような気持ちになります。
「ダイエットかな」「資格でも取ろうかな」と適当に答えて、その場をやり過ごす。 でも、心の中では「別にそれがやりたいわけじゃないのに」と思っている。
目標が立てられない。 それ自体に、違和感を覚えることがあります。
「みんなは立てられているのに、なぜ自分だけ」 「目標がないなんて、やる気がないのだろうか」 「このままでいいのだろうか」
そんな思いが、静かに心を重くしていきます。
この記事は、そうした「違和感」について一緒に考えてみるためのものです。 目標の立て方を教えるためではありません。 「目標が立てられなくても、大丈夫かもしれない」という視点を、そっと置いておくために。
目標が立てられない時に感じること
「何がしたいかわからない」という空白
目標を立てようとすると、まず「何がしたいか」を考えます。
でも、その「何がしたいか」が出てこないことがあります。
やりたいことがない。 興味があることが見つからない。 情熱を感じるものがない。
そうした状態を、どこかで「良くないこと」と思ってしまいます。
「やりたいことがある人」が輝いて見えます。 夢を語る人、目標に向かって走る人、情熱を持っている人。 そうした人たちと自分を比べて、「自分には何もない」と感じてしまいます。
でも、「何がしたいかわからない」という状態は、決して珍しいことではありません。
むしろ、多くの人が経験していることかもしれません。 ただ、それを表に出さないだけで。
目標を立てること自体への疲れ
毎年、年始になると目標を立てる。 そして、年末になると「達成できなかった」と落ち込む。
そんなサイクルを繰り返していると、目標を立てること自体に疲れてしまうことがあります。
「どうせ達成できないのに」 「去年も同じこと言っていたのに」 「目標を立てる意味があるのだろうか」
そうした思いが、目標を立てることへのモチベーションを奪っていきます。
ダイエットを目標にして、挫折した。 資格取得を目標にして、途中で諦めた。 早起きを目標にして、三日坊主で終わった。
そうした「失敗」の記憶が積み重なると、「また同じことになるんじゃないか」という予感が生まれます。
目標を立てることが、義務のように感じられる。 楽しみではなく、プレッシャーになっている。 希望ではなく、不安の種になっている。
そんな状態では、目標が浮かばないのも無理はありません。
目標を立てることに疲れている自分を、責める必要はありません。 それは、これまで真剣に取り組んできた証拠でもあるのです。
周りと比べてしまう焦り
年末年始は、他人の目標や抱負を目にする機会が増えます。
SNSでは「来年の目標発表」が流れてきます。 職場では「新年の抱負を発表しましょう」という場があったりします。 親戚の集まりでは「来年はどうするの?」と聞かれます。
みんなが目標を持っているように見えます。 みんなが前に進もうとしているように見えます。
その中で、自分だけが何も持っていない。 何も決まっていない。 どこに向かうかもわからない。
そんな状態が、焦りを生み出します。
「自分だけが取り残されている」 「みんなは進んでいるのに」 「早く何か決めなければ」
焦れば焦るほど、余計に目標が浮かばなくなる。 そんな悪循環に陥ることもあります。
「目標がない自分」への不安
目標がないことは、不安を生み出します。
「このまま何も変わらないのではないか」 「自分には向上心がないのではないか」 「人生、このままでいいのだろうか」
目標がないことが、まるで自分の価値を否定しているかのように感じられます。
社会は「目標を持つこと」を良いこととしています。 「夢を持て」「目標を持て」「前に進め」というメッセージが、あちこちから聞こえてきます。
そうした中で、目標を持てない自分は「間違っている」ように思えてしまいます。
でも、本当にそうでしょうか。 目標がないことは、そんなに悪いことなのでしょうか。
なぜ「目標が立てられない」のか
「目標を立てる時期」ではないのかもしれない
目標が立てられない時、私たちは「自分に問題がある」と考えがちです。
やる気がない。 向上心がない。 怠けている。
でも、もしかすると、それは「自分の問題」ではないのかもしれません。
「今は目標を立てる時期ではない」という可能性があります。
人には、動きやすい時期と、止まりやすい時期があります。 外に向かう時期と、内に向かう時期があります。 種を蒔く時期と、収穫する時期があります。
すべての時期に、同じように目標を立てられるわけではありません。
植物が冬に成長を止めるように、人にも「止まる時期」があります。 その時期に無理に目標を立てようとしても、うまくいかないのは当然かもしれません。
七命図という視点から
ここで、「七命図」という考え方を紹介させてください。
七命図は、占いではありません。 性格を診断したり、運勢を予測したりするものでもありません。
「あなたはこういう人だから、こうしなさい」と断定することもしません。 「この時期は良い、あの時期は悪い」と判断することもありません。
七命図は、自分を理解するための「地図」のようなものです。
地図は、「こっちに行きなさい」とは言いません。 「今、あなたはここにいます」「この先にはこんな地形があります」と示してくれるだけです。
山を登る時、地図があれば現在地がわかります。 山頂まであとどれくらいか、この先に険しい道があるか、休憩できる場所はあるか。 そうした情報を得ることができます。
でも、地図は「登れ」とも「降りろ」とも言いません。 どの道を選ぶかは、自分で決めます。 地図は、その判断を助けるツールに過ぎません。
七命図の視点から見ると、人には「拡張する時期」と「収縮する時期」があります。
拡張する時期には、新しいことを始めたり、外に向かって動いたりすることが自然にできます。 エネルギーが外に向かい、人と関わることが心地よく感じられます。 目標を立てることも、自然にできるかもしれません。
一方、収縮する時期には、立ち止まったり、振り返ったり、内側を見つめたりすることが必要になります。 エネルギーが内に向かい、一人で過ごす時間が必要になります。 この時期に無理に目標を立てようとしても、しっくりこないことがあります。
目標が立てられないのは、今が「収縮する時期」だからかもしれません。 それは、怠けているのではなく、時期の問題なのです。
この考え方が正しいかどうかは、わかりません。 でも、「自分に問題がある」以外の可能性を持っておくことは、心を軽くしてくれることがあります。
「立てられない」のではなく「立てない時期」
視点を変えてみましょう。
「目標が立てられない」のではなく、「今は目標を立てない時期」だと考えてみる。
そう考えると、少し楽になることがあります。
目標を立てないことは、後ろ向きなことではありません。 今の自分に必要なことを選んでいるだけかもしれません。
目標を立てる時期が来れば、自然と目標が浮かんでくるかもしれません。 それまでは、立てないことを選んでいてもいいのです。
年末年始という「圧力」
年末年始は、目標を立てることへの圧力が特に強い時期です。
カレンダーが変わる。 新しい年が始まる。 リセットして、新たにスタートする。
そうした「区切り」が、私たちに「何かを決めなければ」という気持ちを生み出します。
でも、12月31日と1月1日の間に、実際には何も変わりません。 カレンダーが変わるだけです。
新年だから目標を立てなければいけない、というルールはありません。 それは、社会が作り出した習慣に過ぎません。
新年に目標を立てることが合っている人もいます。 でも、そうでない人もいます。
自分のタイミングで、自分のペースで、決めればいいのです。
目標がなくても、大丈夫な理由
目標がなくても日々は続く
目標がなくても、明日は来ます。
1月1日が来て、1月2日が来て、日々は続いていきます。 目標があってもなくても、時間は同じように流れます。
目標がないと、人生が止まるわけではありません。 目標がないと、価値がなくなるわけでもありません。
目標がない状態で、ただ日々を過ごすこと。 それも、一つの生き方です。
何かを達成しなくても、何かに向かって走らなくても、存在していること自体に価値があります。
目標がないことを、そこまで重く捉えなくてもいいのかもしれません。
「目標」という形でなくてもいい
私たちは「目標」という言葉に縛られがちです。
明確で、測定可能で、期限があって。 そうした「正しい目標」を立てなければいけないと思っています。
でも、もっと曖昧な形でもいいのかもしれません。
「こんな感じで過ごせたらいいな」 「こういう気持ちでいられたらいいな」 「なんとなく、こっちの方向に進みたいな」
そうした漠然とした方向性でも、十分かもしれません。
数字で測れなくてもいい。 達成したかどうか判定できなくてもいい。
自分が心地よくいられる方向が、なんとなくわかっていれば、それでいいのかもしれません。
目標を手放すという選択
「目標を立てなければ」という思いを、一度手放してみてください。
来年、目標がなくてもいい。 何も決まっていなくてもいい。 どこに向かうかわからなくてもいい。
そう自分に許可を出してみる。
すると、少し肩の力が抜けることがあります。
目標を立てなければいけないというプレッシャーから解放されると、逆に、本当にやりたいことが見えてくることもあります。
焦って決めた目標は、往々にして「こうあるべき」という外からの期待に基づいています。 本当に自分が望んでいることではないかもしれません。
目標を手放すことで、自分の内側の声が聞こえやすくなることがあります。
立ち止まることの価値
目標に向かって走ることだけが、価値のある生き方ではありません。
立ち止まること。 振り返ること。 休むこと。
そうした時間にも、大切な意味があります。
立ち止まっている時期に、内側で何かが育っていることがあります。 それは、外からは見えません。 数字で測れません。 SNSに投稿できるような「成果」にはなりません。
でも、確かに何かが起きています。
自分の中で、何かが整理されている。 過去の経験が、消化されている。 次に進むための準備が、静かに進んでいる。
そうした内側の動きは、目標を立てて走り続けている時には、なかなか起こりません。
立ち止まる時期だからこそ、できることがあるのです。
植物が冬に成長を止めるのは、サボっているからではありません。 根を深く張り、春に芽吹くための準備をしているのです。
人間も同じかもしれません。
今は目標がなくても、内側で何かが育っている。 それが何かは、まだわからない。 でも、いつか形になる日が来るかもしれない。
そう考えると、目標がない時期も、無駄ではないと思えることがあります。
「違和感」との向き合い方
違和感を否定しない
目標が立てられないことへの違和感。
その違和感自体を、否定しなくていいと思います。
「違和感を感じるなんておかしい」 「気にしすぎだ」 「考えすぎだ」
そうやって、違和感を打ち消そうとしなくていいのです。
違和感を感じているなら、それは事実です。 その事実を、まず認めてみてください。
「今、私は違和感を感じている」
それだけでいいのです。
違和感があることと、それに振り回されることは、別のことです。 違和感を認めた上で、どうするかは自分で選べます。
「普通」からズレている感覚
目標が立てられないと、「普通」からズレているように感じることがあります。
みんなは目標を持っている。 みんなは前に進んでいる。 自分だけが、その流れから外れている。
そんな感覚が、居心地の悪さを生み出します。
でも、「普通」とは何でしょうか。
SNSで目標を発表している人は、確かに目立ちます。 でも、それは全体の一部に過ぎません。
目標が立てられなくて困っている人。 立てたけれど、すぐに忘れる人。 そもそも目標なんて考えていない人。
そうした人たちは、声を上げないから見えないだけで、たくさんいます。
「普通」は、見えている部分だけで判断できるものではありません。
違和感を抱えたまま、年を越す
違和感を解消しなくても、年を越すことはできます。
目標が立てられないまま、新年を迎えてもいいのです。
「今年中に何か決めなければ」 「新年までには目標を持たなければ」
そうした焦りを、少し手放してみてください。
違和感を抱えたまま、そのまま年を越す。 それも、一つの選択です。
1月1日になっても、違和感は消えないかもしれません。 でも、消えなくても大丈夫です。
違和感と一緒に、新しい年を始めればいいのです。
「場」があるということ
一人で抱えなくていい
目標が立てられない。 何がしたいかわからない。 このままでいいのか不安。
そうした気持ちを、一人で抱えていると、どんどん重くなっていくことがあります。
誰かに話したいけれど、こんなことで悩んでいると思われたくない。 相談しても、「目標を立てればいいじゃん」と言われそう。 「考えすぎだよ」と軽く流されそう。
そうした思いから、一人で抱え込んでしまうことがあります。
年末年始は、特に孤独を感じやすい時期です。
みんなが忙しそうにしている。 みんなが楽しそうにしている。 みんなが来年に向けて動き出している。
その中で、自分だけが止まっているように感じる。 その孤独感が、さらに気持ちを重くします。
でも、同じような気持ちを抱えている人は、実はたくさんいます。
年末年始に焦りを感じている人。 目標が立てられなくて困っている人。 何がしたいかわからなくて悩んでいる人。 正月がしんどいと感じている人。
そうした人たちが、どこかで同じ時間を過ごしています。
SNSで目標を発表している人は目立ちます。 でも、目標がなくて困っている人は、声を上げないから見えないだけです。
あなたは、一人ではありません。
なぜこの時期にライブがあるのか
年末年始という、多くの人が忙しいとされる時期。 この時期に、TikTokなどでライブ配信をしている人がいます。
効率を考えれば、もっと人が集まりやすい時期にやった方がいいかもしれません。 数字を追うなら、別のタイミングの方が良いかもしれません。
でも、だからこそ意味があるのかもしれません。
年末年始に居場所がないと感じている人がいます。 みんなが忙しそうにしている中で、自分だけが取り残されているように感じている人がいます。 目標が立てられなくて、焦りを感じている人がいます。
そうした人にとって、画面の向こうに誰かがいることは、小さな支えになることがあります。
「場」があるということ。 それ自体が、意味を持つことがあるのです。
見ているだけでも、そこにいる
ライブ配信に参加するのに、特別なことは必要ありません。
コメントを書かなくてもいい。 何かを発言しなくてもいい。 積極的に関わらなくてもいい。
ただ見ているだけでも、そこに「いる」ことになります。
同じ時間を、同じ場所を、共有している。 それだけで、孤独が少し和らぐことがあります。
見ているだけの人にも、その場にいる意味があります。 それは、配信している側にも伝わるものです。
何人が見ているか、という数字の問題ではありません。 そこに誰かがいる、という存在の問題です。
成果や数字ではなく、空気
ライブ配信という場は、何かを得るための場ではありません。
知識を得る場でもなく、成果を出す場でもなく、目標を立てる場でもありません。
ただ、そこに空気がある。 同じ時間を過ごしている人たちがいる。 緩やかなつながりがある。
それは、数字では測れないものです。 生産性とか効率とか、そうした言葉とは無縁のものです。
私たちは普段、「何かを得るために」行動することが多いです。 仕事は収入のため。勉強は資格のため。運動は健康のため。 すべてに目的があり、成果が期待されます。
でも、ライブをただ見ている時間には、そうした目的がありません。 何も得なくていい。何も達成しなくていい。ただ、そこにいるだけでいい。
目標を立てなければというプレッシャーもない。 成長しなければという焦りもない。 比較されることもない。
そうした「場」が、どこかにあると知っているだけで、少しだけ安心できることがあります。
目標が立てられなくて悩んでいる時。 何がしたいかわからなくて困っている時。 一人で考えていると煮詰まってしまう時。
そんな時に、ふらっと立ち寄れる場所があります。 何も求められない場所。 ただいるだけでいい場所。
年末年始という、どこか落ち着かない時期に。 そうした「場」の存在は、思っている以上に意味があるのかもしれません。
目標がない新年を迎える
「白紙」のまま始める
目標がないまま、新年を迎える。
それは、「白紙」のまま始めるということです。
白紙は、何も書かれていない状態です。 でも、それは「空っぽ」ではありません。
白紙には、無限の可能性があります。 何を書いてもいい。 いつ書いてもいい。 書かなくてもいい。
目標がびっしり書かれた手帳は、確かに達成感があるかもしれません。 でも、余白がないと、予想外の出来事に対応できません。
人生には、予想外のことがたくさん起こります。 思いもよらない出会いがあったり、予期せぬ転機が訪れたり。
目標でがんじがらめになっていると、そうした予想外のチャンスを逃してしまうこともあります。
白紙には、余白があります。 何かが書き込まれるのを待っている空間があります。
目標がないことを、「白紙」として捉えてみてください。
今は何も書かれていない。 でも、書こうと思えばいつでも書ける。 書きたいことが見つかった時に、書けばいい。
そう考えると、少し気持ちが軽くなることがあります。
白紙の新年には、可能性がある。 何が起こるかわからない、というのは、不安でもあり、希望でもあります。
「決めない」という決断
目標を立てないことも、一つの決断です。
「今年は目標を立てない」と決める。 「何も決めないことを決める」。
それは、受動的な態度ではありません。 自分で選んだ、能動的な選択です。
「目標がないから、なんとなく過ごす」のではなく、「目標を立てないことを選んで、過ごす」。
この違いは、小さいようで大きいかもしれません。
自分で選んでいるという感覚が、主体性を取り戻させてくれることがあります。
自分のタイミングを信じる
目標が立てられる時期は、人それぞれです。
新年に立てられる人もいれば、春に立てられる人もいます。 何かのきっかけで立てられる人もいれば、ゆっくり時間をかけて見つかる人もいます。
自分のタイミングは、自分にしかわかりません。
周りが新年に目標を立てているからといって、自分も同じタイミングである必要はありません。
自分のタイミングを信じて、待ってみてください。
焦らなくても、大丈夫です。 目標が必要になった時には、自然と見えてくるものです。
おわりに
来年の目標が立てられないことへの違和感。
この記事では、その違和感を解消する方法ではなく、違和感と一緒にいる方法について考えてきました。
目標が立てられないのは、あなたに問題があるからではないかもしれません。 今が「目標を立てる時期」ではないだけかもしれません。
七命図という考え方では、「拡張する時期」と「収縮する時期」があるとされています。 今が収縮する時期なら、無理に目標を立てようとしなくてもいいのです。
目標がなくても、日々は続きます。 目標がなくても、新年は迎えられます。 目標がなくても、あなたの価値は変わりません。
年末年始という、目標を立てることへの圧力が強い時期。 その圧力に押されて、無理に何かを決めなくていいのです。
もし、一人で考えていると煮詰まってしまうなら、どこかに「場」があることを思い出してください。 同じような気持ちを抱えている人たちが、どこかで同じ時間を過ごしています。
目標がなくてもいい。 何がしたいかわからなくてもいい。 違和感を抱えたまま、年を越してもいい。
そう自分に言ってあげてください。
世の中には、目標をキラキラと語る人もいれば、何も浮かばなくて困っている人もいます。 どちらが正しいわけでもありません。 どちらも、その人なりの今を生きているだけです。
あなたが今、目標が立てられない状態にいるなら、それは今のあなたに必要な状態なのかもしれません。
焦らなくても、大丈夫です。 急がなくても、大丈夫です。
新しい年が、あなたにとって穏やかなものでありますように。 目標があってもなくても、あなたはあなたのままで、大丈夫です。
白紙のまま始まる新年を、焦らず、ゆっくりと歩いていけばいいのです。
そして、いつか目標が見つかった時には、その時に動き出せばいい。 見つからなければ、見つからないまま過ごせばいい。
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